
みなさん、こんにちは★
このブログを読んでいる方は、双子を妊娠された方でしょうか?
それとも、「もし自分が双子を妊娠したら?」と気になった方でしょうか?
今回は、私が双子を妊娠したときの体験談などをお伝えできたらと思います。
双子の妊娠が発覚!
双子の子供たちの上に、お姉ちゃんがいます★
2019年生まれの娘で、双子たちは2021年生まれです。
学年は2個離れていますが、年子です!
私は、2016年で結婚しました。
結婚してすぐ子供が欲しいね!と旦那と話していましたが、なかなか授かれずにいました。
妊活して2年くらいで娘を授かりました。
妊活についてのブログはこちらの記事で詳しく紹介しています★
こちら→もう私は妊娠できないと諦めていた…2年間妊活を頑張って妊娠した私のお話🐤
娘を授かるのにとても時間がかかったので、2人目は娘を出産して6か月が経ってから妊活をしました。
「2人目もきっと、なかなか授からないんだろうなあ・・・」と思っていましたが、2人目はすぐに妊娠しました。
私には、3個上に姉がいるんですが、姉から「産後は妊娠しやすいよ!」という話を聞いたことがありました。まさかの本当にすぐ妊娠しました。
妊娠が発覚し、妊婦検診も順調でした。
妊婦検診に行って3回目くらいに、いつも通り妊婦検診をしてもらっていると、先生がいつもより長めにエコーを見ていました。
「え!もしかして心拍止まってるの?」
「なんか赤ちゃんに異常があるのかな・・・」
先生が「今回の妊娠って他の先生から何か言われている?」と聞かれました。
私が行っていた産婦人科は、先生がたくさんいるので毎回同じ先生でないことがあります。
先生が他の先生を呼んできて、違う先生にもエコーで赤ちゃんを見てもらいました。
「双子を妊娠されていますよ!」
ええー!!!まさかの双子!!!
実は私のいとこに双子がいるんですが、遺伝ってあるのかな?と思いました。
ここの産婦人科は、双子は診ることができないと言われたので、大学病院を紹介されました。
旦那と10か月だった娘も、私の妊婦検診が終わるまで近くのお店で待っていました。
当時はコロナが流行っていたので、旦那と娘は一緒にエコーを見ることができませんでした。
双子を妊娠したことがわかり、先生たちが大学病院へ紹介状を書くのに時間がかかりました。
妊婦検診が終わり、すぐに旦那に双子を妊娠したことを電話しました。
まさか自分が双子を妊娠すると思わなかったので、興奮気味に電話をしたのを覚えています。
旦那もとても驚いていましたが、これからもっと大変になると思うけど頑張ろうね!と言ってくれました。
双子には3種類あると説明される
産婦人科で、双子の状態をじっくりエコーで見てもらいました。
エコーが終わり、先生から双子には3種類の双子がいると言われました。
① DDツイン(二絨毛膜二羊膜双胎)

双子の赤ちゃんの多くは、DDツインと呼ばれる二絨毛膜二羊膜双胎だそうです。
DDツインの赤ちゃんは、2人がそれぞれ別々の胎盤を持っていて、羊膜と絨毛膜も別々なので、2人は完全に別の部屋にいる状態です。(上のイラストの状態)そのため、お互いの血流が影響しあうことはありません。
②MDツイン(一絨毛膜二羊膜双胎)

双子の赤ちゃんのうち、約40%がMDツインと呼ばれる一絨毛膜二羊膜双胎だそうです。MDツインの赤ちゃんの20〜25%がハイリスクとされているため、DDツインに比べてより注意が必要とのこと。
MDツインの赤ちゃんは、2人で1つの胎盤と絨毛膜を共有しています。ですが、2人の間には羊膜があるため、それぞれ独立した部屋にいる状態です。
また、お互いの血管がくっついているので、2人の血液は胎盤を通じて行ったり来たりしています。(上のイラストの状態)
③MMツイン(一絨毛膜一羊膜双胎)

そして、私が妊娠した双子です。
MMツインと言われる一絨毛膜一羊膜双胎は、双子の赤ちゃんのうち約1%にしか見られない極めて稀なタイプだそうです。
MMツインは、2人の赤ちゃんが1つの胎盤と絨毛膜、羊膜を共有していて、2人の間に膜がないため2人で1つの部屋の中にいる状態です。
MMツインの赤ちゃんは、互いのへその緒が絡まることによるリスクが高いため、双子の赤ちゃんのなかでも特に注意が必要とのこと。(上のイラストの状態)
MMツイン(一絨毛膜一羊膜双胎)という稀な双子を妊娠していると告げられる
なんと私は、1%でしか見られない双子を妊娠しました!!!
色々難しい説明をされましたが、とりあえず1番リスクが高い双子だと説明されました。
私は、妊娠出来たことが嬉しかったので、リスクの説明をされても、自分なら大丈夫だ!と思っていました。
リスクが高い双子だった為、片道車で約2時間の大学病院へ行くことになりました。
最初は、まだお腹もそこまで大きくなかったので、電車で大学病院まで行っていました。
大学病院でも、双子のリスクの話をたくさん言われました。
それよりも、早く可愛い双子ちゃんに会いたい!という気持ちが勝っていました。
安定期に近づいて、胎動も感じられるようになりました。
妊婦検診では、2人写っていて「私ほんとうに双子妊娠してるんだあー♡」と嬉しくなりました。
まだ早いと思いましたが、先生に性別を聞いてみると「おちんちんが付いてます!笑」と言われました!
男の子かあー♡大きくなったらタッチみたいに野球をやらせようかな?と妄想してました。笑
でも私は、「双子の割には胎動が少ないなあー」となんとなく思っていました。
胎動が少ないと思っていた勘は、当たっていました。
双子の1人が亡くなる
妊婦健診20週くらいの頃、いつもよりエコーの時間が長かったのを覚えています。
先生が席をはずし、他の先生を呼びに行きました。
これって、双子の妊娠が発覚したときと同じだ!またなんかあったのかな・・・
他の先生が来て、また長いエコーが始まりました。
そして先生から
「お腹の赤ちゃんが1人心拍が動いていません」
と言われました。
先生も、とても言いにくそうにしているのを感じました。
すごく驚いたと同時に、「だから胎動小さかったんだ・・・」と思いました。
1人亡くなったことで、もう1人の子がこれからどんなリスクがあるか説明をされました。
先生の話を聞いているうちに、どんどん涙が止まらなくなってきました。
死産についてはこちらの記事に書いています。
こちら→死産した愛する息子へ…元気に産んであげられなくてごめんね…大好きだよ
ただ、先生の説明でとても心に残っていることがあります。
「双子は2人で1つだから、1人が亡くなるともう1人も亡くなる可能性が高いです。でももう1人の赤ちゃんは頑張って生きています。とても奇跡的なことです。頑張って生きていますよ」
その言葉を聞いて、私は泣いてられない!と思いました。
妊婦検診が終わり、帰りの電車でまた涙が止まらなくなっていました。
旦那にも1人亡くなったことを伝えました。
私が泣いてばかりいたからか、旦那がずっと慰めてくれました。
お腹の中に亡くなった子がいると、母体ともう1人の赤ちゃんにも影響がでる可能性があるとのことで、2週間管理入院をすることになりました。
初めての管理入院
母体胎児集中治療室という部屋で管理入院することになりました。
娘がまだ小さかったので、娘に会えなくなることがとても辛かったです。
旦那の両親と私の母は遠方に住んでおり、交換でお手伝いに来てくれました。
初めての入院は、とにかく暇でした。
何もやることがない。
先生から、トイレ以外はなるべく安静にしていて下さいと言われました。
入院1日目は、娘と旦那に会えない寂しさで、ずっと泣いていました。
車で片道2時間の距離なので、近くにいないんだよなあーと悲しくなっていました。
毎日お腹の赤ちゃんのエコーを見たり、私の採血をして、母体が大丈夫かの確認などしていました。
入院中に、YouTubeで初めて聴いた曲に、心を動かされました。
アイノカタチというMISIAさんが歌っている曲です。
何回も繰り返し聴きました。
なんか、お腹の赤ちゃんが私に大好きだよって言っている気持ちになっていました。
妊娠してから涙もろくなってしまって、ささいなことですぐ泣いていました。
ある日、いつものように先生と一緒にエコーを見ていました。
「生きている赤ちゃんの脳室が拡大していて、後遺症が残る可能性が高いです。」
先生に言われ、でも産んでみなきゃわからないよね。と自分に言い聞かせていました。
現実を受け入れるのが怖かったんだと思います。
元気にお腹の中で動いていて、愛しさが日に日に増していきました。
2週間の管理入院が終わろうとしていましたが、先生から
「この2週間、お腹の赤ちゃんも母体もとくに問題なく経過しています。ですが、少し気になるとしたら、お腹の羊水が少なめなのが気になるので、もう少し入院伸ばしますか?」
と言われ、私は早く娘と旦那に会いたい気持ちが強かったので、とても悩みました。
娘に会えないことでメンタル的にダメになりそうだったので、悩んだ結果退院することにしました。
先生も小さいお子さんがいるので、私の気持ちにすごく寄り添ってくれました。
管理入院が終わり、やっとで家に帰ることができました。
片道2時間の距離を週1で妊婦検診に行く大変な日々
管理入院が終わってからも、大変な日々は続きました。
片道2時間の距離を週1で妊婦検診に行かなければならない為、旦那に毎週有休を取ってもらい、妊婦検診へ行っていました。
ただでさえ通うのに大変なのに、待ち時間もかなり長い・・・
1番長くて3時間待たされました・・・こんなに長く待たされたことある人っているのかな?
忘れられてるんじゃないのかなと思いました。(笑)
3月の終わりころ、主治医の先生が
「4月から異動になりました」と伝えられました。
管理入院のときに、親身に話を聞いてくれたり、1人赤ちゃんが亡くなったときも寄り添ってくれたり、大好きな先生でした。
その時先生から、産科医療補償制度の話を聞きました。
産科医療補償制度は、分娩に関連して重度脳性麻痺などの障害が生じて生まれた赤ちゃんと、その家族の経済的負担を補償する制度です。
「赤ちゃんが産まれたら、対象になると思うから申し込みして下さい」と言われました。
先生からこのお話を聞いたとき
「やっぱりお腹の赤ちゃんは、障害を持って産まれてくるんだな」と切なくなりました。
産科医療補償制度の話は、こちらで詳しく紹介します★
こちら→産科医療補償制度の申請方法を補償対象になった私の体験談を元にご紹介します!
先生が異動し、後任の先生もとても優しい先生でした。
先生と分娩方法をどうするか話し合い、リスクが大きい為、帝王切開での分娩を計画しました。
帝王切開を経験している友達から、傷口がとても痛いことなど話を聞いていたので、とてもドキドキしました。
帝王切開は6月上旬に決まり、それまで娘の世話で大変な日々が続きました。
5月の中旬の朝、トイレに行くと出血しました。
おしるし!?突然出血し、次の日の深夜に自然分娩で産まれる
出血をした前日、いつも通りに妊婦健診に行きました。
生きている赤ちゃんも元気に動いていて
「問題なさそうですね。あとは計画帝王切開まで安静に探しましょう」と言われたので、なにも心配することなく帰ってきました。
ですが出血が出てきて、すぐに病院に電話しました。
「病院に来れそうですか?」とのことだったので、旦那に仕事を休んでもらって病院へ行きました。
病院に着き、エコーで赤ちゃんを見てもらいました。
特に問題なさそうだったので、家に帰りました。
家に帰ってからも出血はしていて、だんだん夜になるにつれて、腹痛がでてきました。
横になっていないとつらかったので、しばらくソファーで横になっていました。
私の様子を旦那が見ていて心配になったのか、もう一回病院へ行こうと言い出しました。
さっき病院行ったばっかりだから大丈夫だよ!と言ったのですが、旦那が心配だったらしくまたまた病電話をして病院へ行くことになりました。
車で病院へ向かっている途中に、段々と腹痛が強くなってきました。
気を紛らしたくて、お姉ちゃんに電話をしました。
お姉ちゃんが、「陣痛なんじゃないの?」と言い、娘のときの陣痛が痛すぎたので、娘のときの陣痛に比べたら我慢できるから、陣痛ではないと思うー。と会話をしていました。
病院について、夜勤の先生に見てもらい
「陣痛がきてます!おそらく今日産まれます!」
と言われコロナの検査をしたあと、分娩室へと移動しました。
「コロナの結果が出るまで出産できないので、いきみ逃しして待ちましょう。」と言われ、コロナの結果が出るまでいきまないように頑張りました。
だんだんと赤ちゃんが産まれそうな感覚が強くなってきて、
「もう我慢できません!産ませて下さい!!!」
と言い、助産師さんが赤ちゃんが出ないように押さえていたんですが、赤ちゃんが産まれてきました!!!
娘のときは陣痛に耐えるので精一杯で、産声も全く覚えていないんですが、息子の産声は聞くことが出来ました。
息子は産まれてすぐ低酸素状態になったので、息子を見る暇もなく、すぐにNICUへ連れて行かれました。
なんと息子は23時59分に産まれてきました!
あと1分過ぎていたら翌日が誕生日になっていました!
最後に
みなさん読んでいただき、ありがとうございます★
初めてのブログなので、かなら箇条書き感があり、読みにくかったりもするかもしれません…
私は双子を妊娠している期間本当に苦しかったし、生きた感じがしませんでした。
「どうして私だけこんなにつらい思いをしなくちゃいけないの」と世界で自分が一番つらいという思いでした。
息子に障害が残る可能性が高いと先生から聞いたときは、正直口に出せないようなことを思ったりもしました。※察していただけると助かります。
最低な母親です…
でも今では本当に、息子を産んでよかった!と心から思えるんです!
0歳のときは、娘もまだ小さいし子育てに余裕がなく、本当にイライラしたり逃げ出したい気持ちでした。
今は息子のお世話も慣れてきて心に余裕ができ、心からかわいい♡と思えています!
やっぱりわが子は可愛いです!
りき坊♡産まれてきてくれてありがとう♡大好きだよ♡